いのち、可燃性があり削れる硬さがあるもの

ブログはサンドバッグです。

ラブレターみたいなもの

小山くんが猫をすきでよかったなあって、最近ずっと思っている。

私は猫がすきだから、その感情を少しでも分かっていられるのではないかな、って思える。
だって小山くんが猫をすきってことは、あの柔らかな足に触れること、あのあたたかな毛に包まれること、あの静かな眼差しを受けること、すべてを愛おしいと思うことだと思うから。大好きな小山くんがそんな存在に出会えていることに、私はよかったなあと老婆心を出さずにはいられないのだ。


猫と暮らしている人間は幸せだと思う。

小山くんはどっかの女子高生みたいに『ペットじゃなくて家族だから』とか『エサじゃなくてご飯ね』とか『飼ってるじゃない、暮らしてる』とか言ってた気がするから上みたいに書いたけど、私はペットはペットだと思ってるしペットと思ってるから飼ってるともエサとも全然言う。まあそれはただの解釈違いなので別に関係ないんだけど。私は、ペットは下手すれば友達や家族なんかよりも全然親しく、私をストレスや苦しみから救ってくれる存在だと感じている。これはまあ私が人間関係が苦手なだけだからその辺はまあいい。なんでこの話しだした。

猫に限らず、動物と暮らしたことがある人間ならきっと誰でも同じことを感じていると思うんだけど、人間と対面しているときには出ない自分っていうのが、その子がいると出せる。鬱屈とした悩みを抱えていたり、小さな自信を心の軸に据えていたり、なんにも考えることのない幸せを感じていたりする自分。ただ自分しかいない部屋ではときに寂しくも思えるそれを、そこにいてくれて、喋らないその子たちは受け入れてくれる。気がするだけだけど。

 

まあ、なんでもいいんだ。この子がいれば幸せだ。間違いなく幸せだ。だってこんなに幸せだもの。 触れたい(まあ触るけど)。かわいい、世界で一番だろうな、こんなにかわいい子、よそで見たことないもの。誰かに触れ回りたい、でも自分だけのものでいて欲しい(まあ自分の子だけど)。みたいな、空間自体が幸せに満ちている。
そんな感覚を、休みの日、ベッドに寝転んでいると猫がこちらにやってきて、体を引き寄せると拒否されるんだけど、お前本当はそんなに嫌じゃないだろ、とか言ってると引っかかれて、みたいな。
そんな幸せを、小山くんもきっと味わっているんだろうな、とか思うと、なんだか無性によかったね、って泣けてくるのだ。だいすきな存在が毎日そばにいてくれる。これ以上の幸せなんて、ほんとうにないかもな。なんて思う。


私はまだ、身近な存在が遠くへ行ってしまうことを経験していないから、わからないことはいっぱいある。そういう話を聞くと何も言えなくて、そっかあ、と言って、心もそっかあ、ってなる。そっかあ、そうなんだ。それは、たぶんつらいよね。……うん、そうだよね、としか、なれない。
でも、人によってその存在にどんな感情を抱いていたのか、とか、どんな思い出があるのか、とか、どんなことを思い出すのか、いつ、どんな環境でその存在を感じるのか、触れるのか、悲しくなるのか、むなしくなるのか、そうならないのか、とかは、人それぞれだし、たとえ私が身近な存在を亡くしていても、わかるよ、なんてことは言えないのではないかな、とも思う。


正直美的を見たときはびっくりしたけど(計算したらたぶんライブが終わってから割と早くみるくちゃんを迎えていたから)、あの幸せそうな顔を見て、幸せにならないわけはないのだ。よかったね、小山くん。そんなにかわいい子がいるなら人生もそりゃあ楽しいだろうね(安直)。
みるくちゃんはスコティッシュだもんね、ニャン太先輩は雑種だったけど長毛種入ってたから、かっこよかったよね。そういう系統の子がきっと好きになりやすいよね、わかる、私もたぶん、今チビちゃんが一番かわいいけど、もしこれから別の子を迎えるってなったら、きっと雑種か、アメショが入ってる子を迎えると思うんだ。おでぶちゃんもかわいいけど、スレンダーな子が好きなんだ。だってやっぱり、好きだもんね、ずっとだよね。
猫好きとしては、あんなに美人な子が毎日おうちで待ってるなんてたまらなすぎる。羨ましい。どっちに嫉妬していいかわからないレベル。まあうちの子が世界で一番かわいいけどな(謎の張り合い)。

ところで最近手越さんがずっとえまちゃんを連れてておいおいパパ~という気持ちになるけど小山くんがそれをしだしたらちょっと頭を心配する(disってないよ!)しでもかわいいししんどいな……手越担なんで生きてるの?もしかして脳死してる?

 

とにもかくにも、猫はいいもんだ。柔らかいし、かわいいし、ふわふわしてるし、気持ちいいし、かわいいし、癒されるし、触るだけで世の中のこと大体忘れられるし、おめめは美しくて息を呑むし、朝日の中にいる猫なんかもうこの世のものとは思えないくらい美しい、しんどい、すき、かわいい、尊い肉球は香ばしいし、目やにを取ろうとすると嫌がられるけど取った後はなんか気持ちよさそうに見えるし、猫じゃらしで死ぬほど遊ぶし(猫じゃらしは大抵滅多打ちである)、おやつに食い下がる姿は野性を感じるし、猫なのにボールっぽいもの投げたら持ってきて投げろって言うし、目は光るし、ご飯よこせよって足に絡みついてくるところなんかもうほんとやばい。ごめんご飯あげたいけどかわいいからもうちょっとこのままでアッすいませんすぐ用意させていただきます。

なんかもう世の中から戦争がなくならないのは全家庭に猫がいないからではないか。みたいなことを本気で思うくらい、猫はいいもんだ。

 

猫が好きでよかった。小山くんが猫を好きでよかった。かわいい子を迎えられてよかった。かわいい子に心を撃ち抜かれてよかった。小山くんがみるくちゃんをかわいいでしょ、って紹介してくれてよかった。小山くんがみるくちゃんの下僕としてにこにこしていられてよかった。これから小山くんが苦しくてたまらないとき、しあわせでたまらないとき、なんにもなくてなんでもないとき、部屋にひとりきりでいられなくてよかった。
小山くんがみるくちゃんをだっこしてふわふわに笑みをこぼしたり、陽の光の中みるくちゃんの美しさに息を呑んだり、猫じゃらしで息が切れるほど遊ばさせられて疲れたり、みるくちゃんが足にまとわりついてきて悶たり、玄関でみるくちゃんがお出迎えしてくれてたり、ベッドを温めてくれてたり、お風呂上がりなのに毛が体中にひっついたり、ご飯を食べる様子をじっくり見つめたり、小山くんのご飯が狙われたり、高い棚の上やカーテンレールの上に登って降りられなくなったみるくちゃんを笑いながら下ろしたり、カーテンや網戸に登られてぎゃー!ってなったり、この部屋には来れないだろうと思ってたらドアを開けて来てビビったり、写真を撮ろうとしたときに限ってこっちを向いてくれなかったり、起きたら胸の上にみるくちゃんがいたり、作業してるときにパソコンの上に乗ってきたり、変なボタン押されたり全消しになったり、膝に乗られてかわいいな〜ってなってたら眠っちゃってトイレ行きたくても行けなくなったり、なんか他にもいっぱい、いっぱい、しあわせを感じる瞬間が増えるんだろうな、よかった。よかった。きっとふとあの子のことを思い出して泣きそうになることもあれば、でもこの子といられるしあわせを噛み締めて、笑顔でいられることもあるんだろうな、よかった。よかった。

猫をすきで、よかった。