いのち、可燃性があり削れる硬さがあるもの

ブログはサンドバッグです。

あのうたを歌わせて

 

小山くんの誕生日を祝うものなのになぜか自分の話が大出血したからこれ2回目書き直してる。でも結局これも自分の話だけどな。そういうとこだぞ。

ブログとかイラストとかなんかしないの?と言われて、しないと答えたけどいやこういうのは気持ちでしょ!!!やることに意義があんだよ!!!って言われたもんだから書いてる。去年はこの気持ちを自分の内に秘めておくことがひとつのステータスのように感じられたから何もしなかった。オタクのめんどくさいこじらせの話です。

でも自分の記録がすきなのに、この気持ちを書かないのはちょっとおかしいな、と自分に矛盾を感じた。どれだけ頑張って言葉を紡いでも、どれだけ頭ひねらせても、結局この気持ちは具現化できないのを感じていた。だから去年は何もしなかった、のを伝えた。とはいえ言われるとそれもそうだなと簡単に乗った。いろいろ考えていたのもあるし。

あとまあ、毎年頑張って思いを伝えようとしていたのだと、これから先の私が読み返してちょっとは笑えるくらいのものは残しておきたいな、と思った。

結局エゴで自分のためなので。自分のためにあなたがすきなので。 

気持ちって、伝えるのも、伝えないのも、エゴだなあ、と、思った。ので、小山くんのことを考えていて、こんなに特別なひとはいないのだと、ほんとうにわかってしまったので、それを書いておこうと思った。


ていうか今平成が終わるの超さみしくていろいろぐちゃぐちゃ(文もぐっちゃぐちゃ)なんだけど、小山くんの誕生日を祝いながら令和を迎えられるのはうれしい。平成に生まれてよかったし、平成でハタチを迎えられてよかったし、この私にとって今まで全部だった平成に小山くんがいてくれてよかったし、新しく令和も一緒に、新しく日を刻むことが想像できる。新しい時代を、すきなひとと一緒に歩んでいける。それってなんてしあわせなことなんだろう。ああ~~~ありがとう本当に……。

 

小山くんは私にとって特別なひとです。

小山くんって私にとって何なんだろう? とずいぶん前にめっちゃ考えた。

結局答えは出てない。や、概念としてはもうもはや彼氏なのかな……と本気で思えるくらい、小山くんは『こちら』に向けての発信をしてくれる。相思相愛なのだと心から感じる。うれしい。私は恋愛経験が片思いすらないのでぶっちゃけよくわからんまま生きてるけど、まあそこはいいか。

神様ではないな、と気づいたのはその流れだった。あまりにも忘れっぽいから、小山くんのことを神様だと思っていたのかは正直怪しいんだけど、少なくとも『NEWS』を神格化していたことはある。

私にとって小山くんはどうあっても『小山くん』で、人間でもない。新ジャンルだ。いや私に『人間』というカテゴリーがあるのかもぶっちゃけ謎いんだけど。あるといえばあるような気もしないでもないし、ないと言ってしまえばない感じもする。

でも小山くんは、男だけど、アイドルだけど、『男』でも、『アイドル』でもない。私にとって小山くんは小山くんなのだ。小山くんを形成するものに『男』も『アイドル』ももちろん必要だと思うけど、それは小山くんにはならない。私の中には『男』でも『アイドル』でもなく、『小山くん』という存在が確かに強くいる。

結局私にとって小山くんは、『すきなひと』だとしか言えないなあ。

いつも笑顔を向けてくれる、頑張れよって言ってくれるアイドルが好きなのではなくて、細身で身長が高い猫顔の男が好きなのではなくて、小山くんだからすきなのだ。小山くんが、すきなのだ。

 

私にとって小山くんが特別なのは、私が今まで大事にこの小山くんを思う気持ちを育ててきたからだと思う。入りはどう考えても顔なんだけど、顔がいいし顔だいすきなんだけど、顔が一番好きかと言われるとちょっと違うんだな。

私は、小山くんの表情がすき。小山くんの、メンバーのことを話しているときや、見守っているときの表情が、ああ、このひとはこのひとたちのことをほんとうにすきなんだなあと思わせられて、すきだ。
小山くんの、ひとの話を真剣に聞くときの表情が、このひとはひとを大事にできるひとで、このひとは、いまこのひとのことを大事にしているのだと感じさせられて、すきだ。

たいせつにされたいというのは、誰もが思うことで、けれど誰もが難しいと感じると思うのだけど、小山くんをみていると、ああ、こうやって、ひとをたいせつにすればいいのか、と思う。(私には全然できてないけど……)自分が伝えたいこと、相手が伝えられたいこと、考えて、気持ちを伝えて、それを何度も繰り返して、関係を形成していくこと。

すごく簡単にやって見せる気がしてる。でも私にはすごく難しいことだ。すごいことだ。私には友達が少ないからかもしれないし、私が見たい小山くんだからそう見えてるのかもわからないけど、でも私がそう思うにあたって、小山くんのそういう行動の、言葉の、片鱗くらいは、受け取ったつもりでいる。

 

小山くんはいつも、『今』をたいせつにしてくれる。『もしかしてあった今』ではなくて、この世界線の、『今』を。それってすごいことだと思うんだよ。

積み重ねた
過去(いま)があって
かけがえのない
現在(いま)になって
愛言葉、道しるべに
歩いていきたい

小山くんは、『今』がどんな『今』であっても肯定してくれるんだろうな、と思った。「この世界線の『今』だから」愛しているわけではなくて、「たとえばの『今』」がここにあったら、小山くんはその『今』を愛してくれる。なんか矛盾がある書き方な気しかしない。読解力と語彙力双方に頑張ってもらうしかない。

めちゃめちゃ、具体的かつ端的に例を出せば。『今』NEWSが6人だったとしても、8人だったとしても、9人だったとしても。小山くんは、『ここにある今』を愛している。4人のNEWSだから愛してるわけではなくて、『今』ここにいるのは4人だから、愛してるんだと思う。そういう愛をしているひとなんだと思っている。

 

 

暗闇に迷うたび
月を見上げてみよう
導かれる未来へ
さあ行こう

小山くんを導いてくれるのは太陽でなくて月なんだと思うと、その優しくて時折頼りない光がすきで、私はぽろぽろ泣いてしまう。

あ~いま思ったけど、これは、暗闇で夜明けの絶大な力を持つ太陽を待つんじゃなくて、暗闇にいる自分じゃ見えてないかもしれない、そこにきっとある月の光を探そうって、言ってくれてるのかもしれない。月は時にいなくなってしまうように見えるけど、確かにそこに存在しているし、なによりやさしい光で包んでくれる。
星は遠すぎるし、多いし、見つけられないかもしれないから。太陽はまぶしすぎるから。太陽はいつも遅いから。私は太陽が嫌いなのでわりとめちゃめちゃ言ってるけど。

え…?小山くん……めっちゃ好きなんだが……??

 

実は、NEWSは私にとって光なので、救いにはならない。

ことに最近気付いた。NEWSを聞けない時期がどうしても定期的に来る。それは元気がないのだ。私は、NEWSを、小山くんをすきな自分はすきだ。でもその自分って元気があって、前向きで、なんというか、エネルギーがあるのだ。すきなものをすきなままでいるには、意外とエネルギーがいる。
それが急にふらっとなくなるときがある。私は不安になる。えっ、いやいや、いやいや……いやいや。まあそれなりに沈んだら浮き上がるんだけど、NEWSをすきな自分に慣れているとマジで焦る。

自分の気持ちを問い詰めてはいけない。自分のすきを疑ってはいけない。自分が感じたものを否定することがないように生きたい。そういうときはきっとどうしたってあるのだ。そういうときは、ゆっくり歩いて空でも見ていればいい。月もあるし、星も大体見える。夕暮れはきれいだし、すぐに夜が来るから安心できるでしょう。徹夜明けの朝焼けは心が焼け付くけど、大丈夫、寝てしまえば昼にも耐えられるから。

 

 

私、小山くんは夜だと思ってるんですけども。 

 これは、私が夜がすきだから。それ以外にたぶん納得してもらう理由がない。納得してもらう必要も別にないんだけど……。

 だから(?)なんか、もとから、夜がすきで、月がすきだったんだけど。Strawberryを聞いて、なんか、すごく、うれしかった。月を歌う小山くんが、すきだなあと思った。同じものを見て、生きているんだなあと、思った。

小山くんは、暗闇を、夜を否定しないのだと思う。どんなものに対してもきっとそうで、それは私の願望なのかもしれないけれど。
(これをいちいち言っていたら全然話が進まないんだけど、言っておかないと私がそうだと思い込んでしまう。フラットでありたいと思う。せめて小山くんに対しては。私にはきらいなものがありすぎるから、きっとたくさん変な視点もあるし妙なことも考えてるから、こうやって少しでも思い込まない練習をしなければいけない)

小山くんがひとに好かれるのはそういうところだ。小山くんといると心地いいのは、小山くんが相手がどんなひとであるかも、相手がどんな考えを持っているかも受け止めてくれるからだ。しらんけど。そういう感じする。

私が想像する小山くんはいつだってやさしい。でもちょっといじわるなときもあるし、ちょっと弱ってる時もある。言葉にすると、私が求めてる小山くんだなあって思う。かわいいんだ、これがまた。
基本的にファンはアイドルに対して偶像というか、『自分ひとりだけのアイドル』というものがあると思う。みんな、『自分のアイドル』を愛しているのだ。
私の、私の、小山くん。やさしいけど、つめたいときもある。でもそれも結局やさしさでできてる。そこがすき。私は小山くんをそうやって見ている。

小山くんは近くにいるひとによって自分が割と変容するひとだと思う。自覚してても無自覚でも。どんなひとだっておそらく隣にいる人によって違う自分が出てくるんだろうけど、小山くんは特にそういうところがあるんじゃないだろうか。相手が求めている自分を察知してそのようになれる。それがいいとか悪いとかではなく、そうすると円滑に物事は運ばれるし、小山くんは触れ合ったひとみんなに求められるひとになる。たぶん。それが小山くんにとってしあわせなら私は何も思うことはない。わからないのでこれ以上は何も言えない。

 

小山くんは、よくわからない。よくわからないひとだなあ、と小山くんのことを考えるといつもそれで終わってしまう。

小山くんのこと、すきだなあと思う。小山くんには、小山くんが思うしあわせな状況にいてほしい。小山くんがすきな自分であってほしい。小山くんが一緒にいたいと思うひとと一緒にいてほしい。小山くんが望むことはなんだって叶えられてほしい。

小山くんが笑っていると世界は平和になるし、小山くんが泣けば世界はその涙で浄化される。小山くんが汗を流して、うたを歌って、ダンスをして、自分の女たちにファンサする。素晴らしい世界だ。

これ以上なんてない。でも、小山くんはいつもこれ以上を簡単に超えて私の心を奪っていく。何回心を奪われればいいんだろう。いくつ心があったんだろう。小山くんに奪われた心は、私の中でそれ以上の質量をもって膨れ上がっていく。奪われたい心が溢れている。

 

なんだろう。たいせつだなあと思う気持ちだけでは、たいせつにできないのが歯がゆいな。 こんなにたいせつなのに。もっともっとだいじにしたいのに。

小山くん、もしかして誕生日だからお祝いしてもらえてると思ってないかな。そんなことはないんだよ。誕生日だから特別なんじゃなくて、小山くんが特別なんだよ。

ハッピーバースデーはしあわせの歌でしょ。だから小山くんに歌いたいんだよ。

小山くんの周りにいて小山くんの誕生日を直接祝ってくれるひとも、こうやってせっせと準備してお祝いの気持ちを共有したいファンも、誕生日じゃなくって、小山くんのことを特別だと思ってるからしてるんだよ。

誕生日をきっかけにしたってだけで、いつもいつも思ってるんだよ。いつもいつも、伝えたい思いばっかりだけど、いつもいつも、こんなに陳腐で使い古された言葉しか出てこないんだよ。もっと賢ければよかった。もっとたくさん勉強しておけばよかった。もっと、もっと。私の気持ちが花になれば、私の思いが風船になれば、私の願いが猫になればいいのに、なんて、ポエムも飛び出す。

いやでも、どんなに賢くても、どんなに言葉を知っていても、やっぱり出てくるのはこの言葉だけなのかもしれないなあ。やっぱり伝わってほしいから、伝わる言葉を選ぶかな。だったらまあ、今の私が伝えるこの言葉だって、そんなに悪いもんでもないよね。

 

 


なんてしあわせな日なんだろう。
あなたの誕生日を祝うことができてしあわせです。
あなたのことがすきだから。あなたがこの今を、選んできてくれたから、あなたがこの今を、たいせつにしてくれてるから、できることです。

 

 

35回目の誕生日おめでとう、小山くん。

 

 

 

心から愛を込めて。

 

 

HAPPY BIRTHDAY TO YOU

HAPPY BIRTHDAY TO YOU

HAPPY BIRTHDAY DEAR 小山くん!💜

HAPPY BIRTHDAY TO YOU

 

 

来年もこのうたを歌わせてね。

私より。

 

 

 

 

 

 

(いやこの文全然祝えてないよね。気持ちだけはいっぱいです!!令和もおめでとう!!!)